大阪障害者センター 壁ニュース

ハンセン病問題講演会!優生思想・政策は私たちから何を奪ってきたか!

「壁ニュース」テキスト版 2019/02/19

2018年度ハンセン病問題講演会を開催!
~優生思想・政策は私たちから何を奪ってきたか!~

 旧優生保護法に基づく、強制不妊・中絶に関する国賠訴訟が展開される中、大阪では、2/16「ハンセン病隔離政策における優生思想・優生政策は私たちから何を奪ってきたのか~らい予防法と優生保護法~」をテーマに「2018年度ハンセン病問題講演会」が開催されました。
 この講演会は、行政や協力機関・団体と実行委員会を結成し、2005年以降毎年、開催してきています。
 本年度の講演会は。以下のように呼びかけられています。
『今年度のハンセン病問題講演会は、ハンセン病隔離政策における「優生思想・優生政策」について考えたいと思います。ハンセン病療養所では1915年より男性への断種手術が、光田健輔医師により始められ、以後30数年間、法的根拠もなく違法なまま実施され続け、当時の内務省、厚生省も暗黙の了解をしていたという歴史的事実があります。1941年~1948年の「国民優生法」では、「遺伝性疾患の素質を有するもの」を対象としていましたが、戦後の「優生保護法」(1948年~1996年)では「不良な子孫の出生を防止する」という言葉を用い、「非遺伝性疾患」を加えて対象を拡大しました。「優生保護法」に新たにハンセン病患者、配偶者の断種・堕胎も加えられました。その人が持つ身体的、または精神的条件で「人間の価値」や「人の優劣」を決めつけ、国家にとって「生まれてきてもいい生命」(優秀な子孫)と「生まれてきてはいけない生命」(不良な子)を法律の条文で規定していました。ハンセン病を理由とする手術の数は、不妊手術が1551件、人口妊娠中絶手術は7696件です。長年、「優生保護法」の撤廃を求める運動が続けられてきました。「優生保護法」廃止後、障害者団体や被害者は、人権を侵害されたとして補償や実態解明を国に求めてきましたが、国は「当時は適法だった」との理由で応じていません。現在、6地裁に提訴し裁判が行われています。「優生保護法」の下、優生手術や強制堕胎を強いられた人びとの受けた被害は、はかりしれないものがあります。ハンセン病回復者や家族、病気や障害を持つ人々が受けた被害の実相を明らかにし、現在も優生思想は根深くあることを見つめ直し、私たちの生き方を考える機会にしたいと思います。』

 当日の講演会では以下のようなDVD上映とシンポジュウムが行われました。概要等を紹介しておきます。

【内 容】
◆DVD上映 
・ハンセン病療養所で受けた私の被害ー断種・堕胎ー製作協力:「もういいかい」映画製作委員会

◆シンポジウム
ハンセン病隔離政策における優生思想・優生政策は私たちから何を奪ってきたか~「らい予防法」と「優生保護法」~
○シンポジスト
・岩川洋一郎さん(国立療養所星塚敬愛園入所者自治会会長)
※氏自身の様々な経験から「結婚するためには不妊手術は不可避の条件とされてきた、しかも無資格の看護師が手術、失敗して2度も手術を受けてきた。妊娠した妻は、強制堕胎もさせられた、さらに、ホルマリン漬けの胎児標本が全国で118体も見つかり、2008年に慰霊式典も行ったが、一生消えない無念の思いを伝えていきたい。」

・青木美憲さん(国立療養所邑久光明園園長)
※学生時代ハンセン病療養所を訪問後、ハンセン病では医学が患者を切り捨ててきたことをしった。卒業後、大阪保健所・総合医療センター等での勤務を経て、2015年から光明園園長。三療養所での不妊・人工妊娠中絶の実態調査(64%の回答ながら、その総数は818人、不妊手術は圧倒的に男性、その分女性の中絶件数は少ないが、妊娠7~10月で堕胎、出産後圧死等の手段が用いられたケースも:ホルマリン胎児114体うち光明園49体、病理解剖も当たり前、本人や家族同意もなし。こうした問題の背景に「産めよ増やせよ」政策の中で不要な子どもを産ませない価値観の広がり、なぜ不幸な子なのか、養育としての社会の協力の欠如、個人の意思とは別に、国や自治体、医師が人権侵害を容認することの怖さがある。

・利光惠子さん(立命館大学生存学研究センター客員研究員)
※強制不妊手術・中絶の歴史的経過と概要
●優生保護法の成立(中絶の規制緩和と並行して「逆淘汰」を防ぐためとして優生政策のさらなる強化)
●人口資質向上対策としての位置づけ・福祉コスト削減のための「障害児発生防止対策・不幸な子どもが生まれない運動も展開
●宮城県における「愛の十万人運動」と強制不妊手術
●いいかげんな、優生保護審査会の実際:会議無しで稟議で決済
○まとめとして
・障害や病を理由に、r公益上必要jとして不妊手術を強要した優生保護法は、基本的人権を踏みにじるものであった。
・優生手術に関する資料が少しずつ開示され、優生手術がはらむ差別のすさまじい実態に加えてずさんな運用による二重の人権侵害も明らかになってきた。
・障害を理由に子どもを産む選択を奪われ、生涯にわたって身体的・精神的な後遺症に苦しんでいる人たちの実態を早急に明らかにしなけれほならない。   ・同時に、再び過ちを繰り返さないためにも、行政と福祉・医疸・教育が一体となって強制不妊手術を推し進めてきたしくみの全容を明らかにする必要
・それは、今も連綿と続く、病や障害を理由に不妊手術や中絶を強いた考え方や社会のありようを問うことでもある
・産むことを強く求められる人/産まない方がよいとされる人、待ち望まれる命/生まれるべきではない命という線引きは、今も、歴然としてある。強制不妊・中絶が投げかける問題は、決して過去のものではない。

・コーディネーター:藤野豊さん(敬和学園大学人文学部教員)
§1 ハンセン病と優生政策
・1907年 法律「癩予防二関スル件]→ 1931年 癩予防法 → 1953年 らい予防法
・なぜ、強制隔離、生涯隔離をおこなったのか
・なぜ、治癒しても隔離を強要したのか。
・1915年 全生病院で男性患者への不妊手術開始
・1940年 国民優生法 「癩は特殊な病気」を理由に法の対象外なのに不妊手術を継続
・19488年 優生保護法 患者と配偶者が不妊手術、串絶手術の対象
・なぜ、感染症なのに不妊、中絶を事実上、強制したのか
§2 優生政策によるハンセン病患者の人権侵害
・家族を持つ自由の剥奪子孫がいないことにより社会復帰の機会の剥奪
・実験材料とされた中絶された胎児 → 親への心理的苦痛
・基本的人権の対象外とされたハンセン病患者
§3 優生保護法の論理の克服
・強制不妊手術のみが問題なのか、法律そのものが問題なのか。
・隔離という環境での任意は事実上の強制ではないか。
・少子化=労働力の低下=経済の低迷という論理は現代の優生思想ではないか

 なお、当日以下の「大阪宣言」が採択されました。

【ハンセン病問題の全面解決をめざす「大阪宣言」】

 1996年、「らい予防法」が廃止され、同年に「優生保護法」は「母体保護法」に改定され23年が経過しました。昨年、障害者に対する強制不妊手術の問題が違憲国家賠償請求訴訟として提訴され、マスコミでも報道されるようになりました。今年度のハンセン病問題講演会では、ハンセン病療養所における優生手術や人工妊娠中絶の実態がどのようなものだったか、優生思想、優生政策は私たちから何を奪ってきたのかをテーマに開催しました。大阪で暮らす退所者の方も初めて証言され、断種・堕胎の被害について聞くことができました。
 2001年のハンセン病国家賠償訴訟熊本地裁判決では、ハンセン病療養所において1915年から1948年の「優生保護法」制定までの30数年開、法律に明文の根拠なく優生手術や人工妊娠中絶が行われていたことが明らかになりました。
 1940年に制定された「国民優生法」は、戦後まもなく廃止され、これに代わるものとして、「らい条項」を含む「優生保護法」が制定されました。
 しかし、同判決では、「優生保護法」の審議過程において「らい条項」が特に問題視された形跡はない、と指摘しています。
 また、この「優生保護法」の下で、1949年から1996年までに、ハンセン病を理由とする優生手術は1400件以上、人工妊娠中絶は3000件以上行われていることも明らかになりました。
 「優生保護法」には、優生手術や人工妊娠中絶に際し、本人やその配偶者の同意を必要としていましたが、同判決では、「昭和30年代まで優生手術を受けることを夫婦舎への入居条件としていた療養所があり、入所者が療養所内で結婚するためには優生手術に同意せざるを得ない状況もあり、事実上優生手術を強制する非人道的取扱いというほかない」と指摘しています。
 不本意な不妊手術や人工妊娠中絶を強いられた人々にとっては、子どもを産み育てることができなかった人生被害として、現在も続くものです。
 現在、全国の6地裁で強制不妊手術の違憲国賠訴訟が行われており、今後被害の実相が明らかになってくるものと思われます。
 本ハンセン病問題講演会に参加した私たちは、障害者と連携し、ハンセン病療養所における断種・堕胎の問題を含むハンセン病問題の全面解決に向けて、それぞれの立場で取り組むことを宣言いたします。
平成31(2019)年2月16日
平成30(2018)年度ハンセン病問題講演会参加者一同

 改めて、ハンセン病問題や優生保護法下での強制不妊・堕胎の問題について、大いに学び、権利保障を真に進める課題では、まさに共通する課題として、議論されていくことが求められます。

※今回の会議では、写真撮影等について、「ハンセン病であることを隠して生活せざるを得ない回復者やそのトラウマを抱えながら、今なお、その様々な差別を受ける人たちに配慮して、報道等の写真撮影の制限に関するお願い」があるため、写真等の掲載は遠慮させていただいています。