旧優生保護訴訟、「違憲」「国の賠償責任」を認定!
旧優生保護訴訟、「違憲」「国の賠償責任」を認定!
~画期的な高裁での逆転判決!~
2/22注目されていた「旧優生保護訴訟」の大阪高裁判決が出されました。
判決では、太田晃詳裁判長は旧法を違憲と判断し、計2750万円(一人1300万相当)の賠償を命じました。全国9地裁・支部で起こされた訴訟で初の賠償命令。今後の被害者の救済のあり方に影響を与える可能性があります。
旧優生保護法は1996年に改正されるまで障害者に対して本人の同意がなくても不妊手術をすることを認めていた。裁判では不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用の可否が最大の争点でした。
22日の大阪高裁判決は旧法を「非人道的かつ差別的であって、個人の尊重という日本国憲法の基本理念に照らし是認できない」などと指摘しました。一審・大阪地裁判決と同様に、憲法13条や憲法14条に違反すると判断しています。
その上で、高裁判決は除斥期間の適用の可否を検討。起算点を一審判決の60~70年代の手術時から、改正法施行前の96年9月25日へと変更しながらも、原告が2018~19年に提訴した時点で20年は経過していると判断しました。
だが、高裁判決は社会的な差別や偏見などで原告が訴訟を起こすことが難しかった状態にあったことなどに言及。「除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する。適用の制限が相当」などと指摘し、除斥期間が過ぎていることを理由に請求を退けた一審判決とは、異なる結論となりました。
【大阪弁護団声明】
旧優生保護法訴訟の控訴審に関する声明
令和4年2月22日
旧優生保護法大阪訴訟弁護団
本日、大阪高等裁判所第5民事部により、旧優生保護法に基づいてなされた優生手術等に対する国家賠償請求訴訟の控訴審判決(以下「本判決」という。)が言い渡された。
「主文 原判決を変更する。」太田裁判長の声が、法廷に静かに響いた。判決は、旧優生保護法4条ないし13条の各規程は、明らかに憲法13条、14条1項に違反して違憲であると認定し、違憲な法律の立法を行った国会議員には過失があるとして、控訴人らは、被控訴人に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権を取得するとした。そのうえで、被控訴人国に対して損害賠償としてそれぞれ、金1430万、1100万、220万円の支払いを命じたものである。
原審が適用した除斥期間について、適用を除外して、控訴人らへの賠償を命じた判断は、まさしく人権擁護の最後の砦として、「一歩前へ出て」、少数弱者である控訴人らを救済するもので、司法府の核心的役割をここに示した判決と高く評価できる。
「元の身体に戻して欲しい」、これは原審で控訴人が絞りだすように陳述した言葉である。その控訴人の下腹部には、今でも優生手術の手術痕がある。心と身体に残った傷跡は、50年が過ぎた今でも、控訴人を苦しめている。同様に、「子どもが欲しかった。私たちはもう二度と子供を作ることが出来ません。優生保護法を作った国に対しては怒りでいっぱいです。国はちゃんと謝罪してほしいです。」「何も聞かされていませんでした。そのことに対し今でも怒りを持っています。」と涙ながらに述べた他の控訴人の怒りや悲しみは、手術から40年以上たった今でも色褪せることはない。判決は、この控訴人らの無念の思いが裁判官の心に届き、山を動かした瞬間であった。
国は、上告せず、速やかに本判決を確定させ、控訴人らに謝罪と賠償をすべきである。そして、すべての優生保護法の被害者に対して謝罪をするとともに、十分な救済を図ることを求める、
大阪弁護団としては、今後もすべての被害者が救済されるまで、不断の努力を続ける所存であり、すべての被害者らとともに全力で闘うことを、改めてここに表明する。 以 上
【除斥期間の考え方】
※判決文より
『旧優生保護法の規定による人権侵害が強度である上、憲法の趣旨を踏まえた施策を推進していくべき地位にあった被控訴人が、上記立法・施策によって障害者等に対する差別・偏見を正当化・固定化、更に助長してきたとみられ、これに起因して、控訴人らにおいて訴訟提起の前提となる情報や相談機会へのアクセスが著しく困難な環境にあったことに照らすと、控訴人らについて、除斥期間の適用をそのまま認めることは、著しく正義・公平の理念に反するというべきであり、時効停止の規定の法意に照らし、訴訟提起の前提となる情報や相談機会へのアクセスが著しく困難な環境が解消されてから6か月を経過するまでの間、除斥期間の適用が制限されるものと解するのが相当である。』
この判断が、今後の裁判に与える影響は強く合わせて、国が上告等を行わず、清々とその判断に従い対応をすすめるよう引き続き、対応が求められるところです。
※控訴断念についての要請行動等の提起が行われる予定ですが、上告期間は、2週間となっていますが、引き続き共同の大きな運動が求められるところです。
去る、2/21、大阪を中心に、生活の場を考える大阪こんだん会・障害児者を守る会・障連協・きょうされん大阪支部が共催する第5回「障害児者・家族の自立(自律)と暮らしを考える集い」がWEBで開催され、近畿・関東も含め約100名が参加しました。
以下その概要をご紹介します。
【基調報告】田中智子氏(佛教大学)
〇子育て・ケアを取り巻く社会状況の変化
〇父親のケア参加→ジェンダー平等の流れの中で重視されるようになってきている:・男性の育休取得率(2020年度12.7%-女性:81.6%、男性-5日未満が28.3%)の上昇
・実際に子育て・ケアに関わる“イクメン”
→多角的な人生観を得ることにつながっている
〇労働者における二極化の進行:2000年代以降、男性労働者の賃金低下に伴い「多就業化」の必要性:・女性の稼得も家計に必要な位置づけへ “セカンド・シフト”
:長時間労働の正規労働者、短時間労働・不安定雇用の非正規労働者の分化
〇障害児者のケア資源・制度は、これらの状況に対応し得るのか?
:・育休・介休では、対応しきれない障害のある子ども
・児童手当・特別児童扶養手当などの不変状況
・療育・放デイなど社会資源→・家族のケア力・経済力に依拠
・“小1(4Or6)の壁”→“18歳の壁”への問題の先送り
→→→稼得もケアも家族の総力戦で!?
:・「障害のある子どもがいるから働けない」→「障害のある子どもがいても働け」!?
・働くこと・ケアすることの自己選択・自己責任化
・“含み資産”としての家族→ケアする家族の負担の増加
こうした状況を踏まえ、具体的に介護にあたる若い親父二名を踏まえ、トークイベントが開催されました。
この中では、以下のような視点から自らの家族の状態などを紹介しながらトークが行われました。
①ケアの面白さ・奥深さについて
②ケアの大変さについて→家族依存の問題につなげる
③ケアの社会化の必要性:ケアの第一意義的責任を社会に
当日は、限られた時間でもあり、十分な議論までいかなかった面もありますが、実際に介護にあたる大変さや、家族の中での役割分担等の大変さ、子どもたちとの関係性や距離感のありかたなど、様々な悩みがだされ、参加していた他の親後さんからも、いくつかの質問が出されるなど、課題の共有化を図りながら、なおかつ制度をどのようにうまく使いって行くのかなど、情報交換の必要性等が出されていました。
※なお、個人情報等もあり当日の取り組みの公開は、現在予定されていませんが、提起があり次第お知らせします。
「総合支援法3年後の見直し」議論の中で、居住支援として、「本人が希望する一人暮らし等に向けた支援を目的とする」「通過型グループホーム(GH)」の創設が検討されています。希望する生活の場への移行を支援することは重要ですが、そのために新しいGH類型が必要かどうかは疑問である。現状でもGHから一人暮らしなどに移行する例は多く、必要に応じてGH職員、相談支援事業などが支援している。さらにこの支援は既存の自立生活援助、地域移行支援、地域定着支援にも期待される支援であり、これらをコーディネートする「地域生活支援拠点」の役割でもある。訓練等給付の「自立訓練(生活訓練)」の活用も可能である。全国で希望に沿った移行が実現できた例を分析し、教訓化し、普及するとともに、既存のサービスの改善や新たなサービスが必要かどうかを検討すべきであろう。いずれにせよサービスや事業に人を合わせるのではなく、人にサービスを届けることが重要である等の指摘もあります。
こうした議論についても、もちろん本人の選択による利用契約ではあるが、他にほぼ選択肢がなければ自由な選択とは言えない。これは「どこで誰と生活するかを選択する機会」を保証した障害者権利条約第19条、障害者基本法第3条、障害者総合支援法第1条の2に違反し、「中間整理」が基本とするはずの「当事者中心に考える」視点とも相いれない状況もあり、機械的な議論ではなく、本当に本人が望む暮らしをどう実現していくか、そのための社会的支援は何が必要か、家族責任だけではどうしようもない実態について、本人の「暮らし」を支えるための社会的支援の仕組みづくりが今緊急に求められているといえます。
「暮らし」の保障は、単に衣食住の夜の暮らしを支えるだけではなく、二中の活動や医療との連携などのなかで初めて実現するものです。
どうすれば、こうした仕組みが培われていくのか改めて「障害者の自律した暮らし」をどう保守していくのかを議論していく必要があります。
とりわけ今回の「新型コロナ問題」は、まさに様々な制度上に脆弱さを示すものとなっています。
改めて、当事者・家族・支援者にとって必要な施策の在り方を多面的に議論しながら、その困難さだけでなく「こうした仕組み」をという提言を拡げていく上で、男女・世代を超えて課題を共有化していくためのきっかけづくりとしても、今回の取り組みは大きな意義を持つことになりました。
