大阪障害者センター 壁ニュース

いのちのとりで全国アクション訴訟名古屋地裁が不当判決!

「壁ニュース」テキスト版 2020/06/26

いのちのとりで全国アクション訴訟名古屋地裁が不当判決!
~なんともいったいこの裁判所判断は何?~

 いのちのとりで全国アクションが呼びかけ、全国で提訴された生活保護訴訟の名古屋地裁編血が6/25出されました。
 この訴訟は、2013年に平均6.5%・最大10%の生活扶助基準の引き下げが決められ、3回に分けて実行され、この史上最大の生活保護基準引き下げに対して、現在、全国29都道府県、1025名を超える原告が違憲訴訟を提起し、国・自治体を相手に裁判で闘っているものです。
 この訴訟の中で、「生活保護制度は憲法25条が定める生存権保障の岩盤となっている制度です。たとえば最低賃金、就学援助、国民健康保険料の減免基準、公営住宅の減免基準等、生活保護を利用していない多くの国民に関わるさまざまな制度の基準と連動しています。まさに生活保護基準は“命の砦”です。国は、社会保障費削減の突破口として生活保護の改悪を位置づけています。生活保護改悪に対する闘いは、社会保障全体の削減を阻止し、その充実を求めていくことにつながります。」とこの取り組みの意義を訴えてきました。

【裁判の争点】
○生活保護基準の引き下げは、厚生労働大臣の裁量権の範囲を外れ乱用しており、憲法第25条、生活保護法8条等に違反しているのではないか。
●国の主張
「健康で文化的な最低限度の生活」の基準設定には、厚生労働大臣に広範な裁量権がある。
◎原告の主張
・必要性、相当性をかく制度後退(引き下げ)は許されない
・大臣の裁量は生活保護法8条等の任意の範囲に限定される
※生活保護法8条
1項保護は、厚生労働大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし…て行うものとする。 
条件1 いったん具体化された給付水準を引き下げるには合理的理由を説明しなければならない(事実上の立証責任の転換)
条件2 法定考慮事項を考慮しなければならず、
不可考慮事項を考慮してはならない
条件3 専門家による審議会の意見に基づかなければならない
※=老齢加算廃止に関する最高裁平成24年4月2日判決の基準からも違法
「判断の過程及び手続に過誤、欠落があるか否かの観点から、統計等の客観的数値との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無について審査されるべき」

【判決要旨】
「憲法25条の健康で文化的な最低限度の生活について、具体的な水準が変動し得ることを当然に予定していると述べ、生活保護制度の後退を禁じていないと指摘。
「国の決定は当時の国民感情や国の財政事情を踏まえたものであり、判断が違法であるとは言えない」として、原告側の訴えを棄却。 

【アクション関係者の評価は】
 今回の判決に対し、緊急記者会見等が、名古屋・厚労省で行われました。
「 判決の内容には疑問が多い。 国民感情、国の財政事情により保護基準は影響されるとしている。 国民感情は、バッシングにより生まれるものでもある。これを司法が容認したことの責任は大きい。また判決は、自民党の政策の影響を受けて基準を決めたことを認めている。これは憲法にも法律にも基づかない基準の決め方。朝日訴訟の高裁判決でも、 財政事情による影響があってもやむを得ないとするに留めた。それなのに、ここまで自由な裁量を厚生労働大臣に認めた判決は初めて。とても容認できない。基準部会の判断に基づかない引き下げを容認したことは不適切な判断としか言いようがない。
ここまで酷い判決には怒りを覚える。」マスコミ・報道関係者には、バッシングに乗らない冷静な報道を、と求めました。
 また、小久保哲郎氏は、フェイスブックで以下のようなコメントを配信しています。
「想定の範囲を超えた最低最悪の判決でした。
すべての論点で何の悩みも見せずに国の主張を丸飲み。自民党の政策の影響を受けたとしても、それは国民感情や財政事情を踏まえたものだからかまわない、とまで言及。被告でさえそんなこと言ってないのに!
 この勝ち筋の事件で、こんな軽いタッチで負けるなら、生活保護基準の設定のあり方を裁判で争う道は完全に絶たれたに等しい。
 こんな裁判体に期待を持ち、期待を持たせるような評価を原告や支援の皆さんに振り撒いてきた自分の目の節穴ぶりを恥入るばかりです。本当に申し訳ありません。
 7年間多くの方々を巻き込み多大な時間と労力を費やした最初の結果がこれとは。。。
 ただ、あまりにひどい判決だけにツッコミどころは満載。
全国の原告、弁護団の力を再結集して判決分析をし、反転攻勢したいと思います。 引き続きよろしくお願い致します!」
※正式コメント等が出れば改めて紹介します。
 今回の訴訟は、生活保護基準が様々な制度の根拠となるなど影響は、国民生活全般に広がる問題であることや、原告が「今の保護費は命のとりでとなる最後のネットワークになっていない」と切実な訴えをもって起こした裁判だけに、こうした判決で妥協するわけにはいかない問題です。
 まさに「生命の沙汰は金次第、その基準も国策上の判断で勝手に決められる」という悪しく風習を打開して行くうえでも「いのちのとりで」をどう守るかという戦いとして、さらに取り組みを再強化していくことが求められます。
※判決文等は、事務局までお問い合わせ下さい。